お知らせ

ご挨拶

皆様こんにちは。五十鈴工業株式会社 代表取締役 山本健司です。アングラーとしての僕を知ってくれている方には「やまけん」と名乗った方がわかりやすいでしょうか?長文になりますが是非おつきあい下さい。

「五十鈴工業が日本最古のリールメーカー」というのは、厳密に言えば確認がとれないことだと思います。調べてみると、釣り業界超大手さんのリールが1971年生まれの49歳だったり、1955年生まれの65歳だったり・・・

五十鈴工業は1949年生まれのリールメーカーで71歳。1945年の第二次世界大戦の終戦から4年、為替が1ドル360円と設定された年、今ではどんな空気感だったのか想像も出来ないことですが、日本はGHQ(連合軍最高司令官総司令部)の占領下にあった時代です。戦災復興のまさにその最中、海外からの下請けがスタートだったそうです。その頃の五十鈴工業がどうだったのか、今知るのは、2代目社長・・・しかもかなり小さい頃の話なのでどこまで覚えてらっしゃるか・・・。

こんな風に時を遡ってみると、その歴史はとてつもなく古く、前社長の林隆雄さんが「現存する日本最古のリールメーカー」と言って胸を張っているのはあながち嘘ではないのかな? なんて思っています。

事業譲渡ならびに継承のご挨拶に記載されている通り、会社としての五十鈴工業は、その72年に及ぶ長い歴史の幕を閉じてしまいます。「新型コロナウィルスの影響」と一言で括ってしまうにはあまりにも色々なことがありすぎるので、この話は僕たち「生まれたばかりの五十鈴工業」が軌道に乗ってから大いに愚痴まじりに語りたいという思いと共に一旦仕舞っておきまして・・・

トラディショナルリールを、頑固に、そして必死で作り続けた「五十鈴工業」がまだまだ倒れないんだよという話を挨拶に代えさせていただきたいと思います。

僕が五十鈴リールに出会ったのは、その歴史から見るとつい最近の2009年。渓流のルアーマンである僕の当時のタックルは、もちろんスピニング。そんななか神保町のお店で、シルバーとブラックのツートンカラーに彩られたBC420SSS、ショーウィンドウに飾られたトラディショナルデザインのそのリールは「かっこいい!」と一発で思える佇まいでした。

ベイトフィネス黎明期、ライトウェイトの範疇に含まれる渓流用のルアーたちを扱うことは、まだノウハウもなく、さらには専用のパーツやタックルなんてもちろん皆無のその時期には困難を極める作業でした。それでも「かっこいいから」とバックラッシュを連発させながら五十鈴リールとの付き合いが続きました。

出会いというのは不思議なもので、渓流ベイトに注目してくれるメディアの方が現れて、ブログの世界から飛び出し僕が釣り雑誌に寄稿。時を同じくして広告代理店の方が林さんに「五十鈴リールを使って2g以下を投げて渓流ルアーをやっている人をネットで発見しましたよ」という世間話が飲み会の席でされたそうです。林さんは、自身のブログで「こんなヤツが居るらしい、ヤマケンと言う名前らしい」と書いていました。僕はすかさずブログにコメント。交流はウェブからという、当時のおっさんには珍しいハイカラスタートだったと思います。(笑)

アニメ・ゲーム業界で末席とは言えある程度のポジションに居た僕は「楽しい」と思ったことを共有したい性分です。それはまるで友達に接するような感覚で、お客さんとも「楽しい」を共有したい、そう考えています。「楽しい」と思えたことを伝える仕事をして来た経緯もあり、あっという間に楽しくて楽しくて仕方がない「釣り」を仕事にし始めました。

僕の新しい仕事「釣り」は2005年のブラックバスが特定外来生物に指定された頃から釣りブームが去ったせいなのか、新参ものがのほほんと座って居られるような環境ではありませんでした。(もちろんどこの業界も厳しいのでしょうが(苦笑))

自分が仕切っているアニメ・ゲーム関連の会社内で釣具を売り始め、ブランド化、そして会社化と、なんとか進んで行く中、パートナーになって下さる方、そして応援して下さる方、僕の大恩人である故本山博之プロのように引っ張り上げてくれる方、ほんとうにたくさんの「縁」に恵まれました。もちろん、林さんとの縁もその中でも大きな一つです。

日本の製造業はピンチだと言われ続ける昨今。小さな町工場、しかも趣味性がものすごく強い「釣り」専門、その中でも「トラッドリール」・・・どんだけニッチなターゲット専門なんだよ! なんて思いますが、そのニッチと思われる世界には僕が求める「楽しい」がぎゅうぎゅうに詰まっていました。

林さんは、持ち前の独特なキャラクターで、色んな波風を立てながら・・・このあたりは前述の愚痴にそのうち追加しますね(笑)そんな環境の中、三代目五十鈴工業社長としてトラッドリールを、僕が「楽しい」と思えることを守り続けていました。

新型コロナウィルス以前から、跡継ぎが居なかった林さんは冗談交じりで「四代目はやまけんになっちゃうのか〜」なんて言っていました。そうこうしているうちに林さんも年齢から体にややガタが来て「四代目」話が本格化(笑)「俺は65歳までは働けないかもしれないから急いで会社合体だな!あと5年以内くらいだぞー!」なんて言っていた矢先の今回の話だったりします。

新型コロナウィルスが日本に入って来て、社会に影響が出始めた時、心労がたたったのか林さんが突如入院。まさにドクターストップでした。病状についてはプライバシーもあるので詳しくは伏せますが、命に別状はありません。しっかり時間をかけて療養すれば元気に戻ってこられるそうです。

林さんがワンマンで仕切っていた五十鈴工業は一昨年・昨年からの小型トラッドリールの需要急増という追い風から一転、操業が出来なくなるという有史以来のピンチがやってきます。トラッドリールの歴史、そして職人さんたちの雇用、工場の設備、ひとつひとつ何年もかけて積み上げて来たものがあっという間に霧散してしまう瞬間がやって来てしまいました。

僕は思わず「な、なんとかならないか時間を下さい」と言ってしまっていました。今思えば、自社ブランドTRY-ANGLEの方向性を変えてでも「しらんぷり」という選択肢もあったんじゃないかなぁなんて思っています、いや本当に(笑)

新型コロナウィルスで動きがとれない中、権利関連、資金、そして今後の計画・・・様々な問題を1個1個乗り越えて「やまけんなら上手くやるだろう」という無念なんだか無責任なんだか(笑)という林さんの言葉をもらいながら、今日この日を迎えています。

新型コロナウィルスの影響は僕の古巣であるアニメ・ゲームの業界にも直撃しています。「元々稼いだお金であぐらをかきながら趣味で釣りの仕事してるんでしょ」と思われがちな僕ですが、もちろん新型コロナウィルス以前から釣りの仕事にも全力なんですよ。その全力からさらに、今回の件は「だ、大丈夫だよね?」と元来楽天家の僕がビビるくらいの決断です。

代表挨拶というのがこれでいいのかわかりませんが、ビビって居る僕のモチベーションは「トラッドリール」を守りたい・・・というかもっと枠を大きくすると「楽しい」を守りたい。ただそれだけです。

一度躓いた形になっている五十鈴工業が通常通りに操業するには様々なハードルがあります。散々「仕事」「仕事」と言ってきたのですが、前述した通り僕は「楽しい」を伝達することを仕事にしています。「楽しい」ことは基本「遊び」です。だから、僕にとってこれは、つまり「釣り」は、人生を賭けた「遊び」なんです。だから真剣です。ヒリヒリするような、祈るような、そして大人なのに震えてしまうような場面をくれる「遊び」。

その遊びに必要な、手の中に収まってしまう機械装置たち。シンプルでかっこよく、そして歴史といろんな人の想いの詰まった道具。

五十鈴工業は終わりません。まだ終われないと思ってしまったので。そして僕にその機会をくれた「縁」があるので。

そしてその「縁」にもうひとつ必要な、最も重要と言える要素があります。皆様の「応援」です。

生まれたばかりなのに、工場の機械は年代もの、空調なんて資料すら残っていない骨董品、職人さんはベテラン多数、そして新社長も金髪なのに若くない・・・そんな僕たち「五十鈴工業株式会社」をぜひ皆様の応援で支えていただきたいです。これは正直挨拶ではなく、ビビっている僕の弱音で本音です。

きっと「楽しい」が詰まった道具をお届けします。皆様の「応援」という追い風があれば、この局面を乗り切れると確信しています。よろしくお願い致します。

最後に僕と、林さんが冗談交じりにいつもネットに書いていた言葉をここにも記しておきたいと思います。

「いつまでも あると思うな 五十鈴のリール」

在庫がなくなるから早く買ってねという意味と、いつ倒れてもおかしくないくらいのギリギリを渡っているんだよという状況を表した名(迷)言ですね。僕のミッション的には「こうなれば 残してみせよう 五十鈴のリール」という感じでしょうか・・・

本当に皆様の「応援」よろしくお願い致します。

もうストレートに言いますわ。

「買ってね!」

重ねてお願い致します!

代表取締役
山本 健司

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